あとがき
百人一首に次のような恋の歌があります。
逢ひ見ての 後の心に くらぶれば 昔はものを 思はざりけり
―藤原敦忠
平安貴族の激しい恋の歌を引き合いに出すのも妙な話ですが、現在の私の心境を率直に表すとすればどうしてもこの古歌が脳裏に浮かんでくるのです。すなわち、
みなもとに まみえし後に くらぶれば 昔はものを 思はざりけり
―林秀光
つまり、水素(みなもと)の凄い力に出会ってからの臨床経験に比べれば、以前の自分は医学のことを殆ど何も理解していなかったに等しいのではないかというわけです。
私が医学部に入ったのは一九五七年(昭和三二年)のことですからほぼ半世紀も前のことになります。その後大学院に進み、卒業後はドイツに留学もし自分なりに医学について懸命に考えてきたつもりですが、日常無力感から解放されることはありませんでした。
大学付属病院でガン患者を受け持ったときなど回診のたび日一日と衰弱していくのを目のあたりにしながら心の中で「現代医学といってもしょせん無力なものだなあ・・・もっと他に何か打つ手はないものかなあ」とつぶやくこともしばしばでした。
その一方「今の医学はどこかおかしいぞ・・・」との疑念とともに、「何か画期的な解決策はないものだろうか・・・いや、きっとある筈だ・・・そいつをなんとか見つけたいものだ」とばかりまるで夢のようなことを考えていたともいえます。
ところが、です。ところが、どうやらその解決策を見つけることができたのではないだろうか・・・というのが現在の私の心境なのです。
一言にしていえば、水素こそその解決策である、という結論になります。
宇宙で最初に誕生したとされる元素。百十余種類を数える他のすべての元素のもとになった元素。それが水素なのです。
私の考えは、生きとし生けるものを産み給うた創造主は、自ら産んだ全ての生き物たちを病から護るために最初の元素として水素を造り給うたに違いない、というものです。
水素の理解が深まるにつれ医学は大変革を遂げるに違いない、と考えています。
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